中国には大きな道が2つある。1つは中国と地中海を結んだシルクロード。もう1つは中国雲南省からチベット、さらにさきへと続くティーロード。 別名「茶馬古道」。
中国・雲南省、知られざるもうひとつのシルクロード「茶馬古道」を訪ねる旅をしたいと思った。 交易の宿場町が点在し、かつて隊商が歩んだいにしえのルートを、昆明から麗江(リージャン)、香格里拉(シャングリラ)、徳欽へと辿る10日間の旅の記録。
1元=約20円
1日目 雲南観光の起点となる雲南省の省都 昆明
バンコクから昆明はエアアジアで向かった。 年末料金が出ていたものの料金は近隣諸国への旅行と比べても特に高くない。
昆明(くんみん)
中華人民共和国雲南省の省都であり、雲南省の政治、経済、文化、交通の中心地である。また1400年の歴史を有する国家歴史文化名城でもある。
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バンコクから昆明はフライトで3時間半ほど。全くガイドブックを読んでいなかったのでこの時間に雲南省の勉強をする。
飛行機からの景色は緑が少なく禿げ上がったイメージだったがそれがただ単に冬だということに後から気がついた。
空港に到着後、シャトルバスで昆明駅までアクセス。 値段は25元。 約30分ほど。
終点の昆明駅らしきところに到着するも場所がよくわからなかったので近くの中国人に英語で話しかける。
私「昆明駅どこすか?」
おじさん「え? 英語わからんよ。 あっちいけホイホイ!」
私「え……」
よく見渡したら昆明駅の横にいました。 つーか、マジで英語通じないのか……? ちょうど昼時だったので指差しで食べれる食堂を発見。 ランチをとることに
写真ではうまそうな小籠包とスープ。 味はふーんって感じです。
今夜20時発の麗江行きの列車に乗るため予約しておいたチケットをゲット! その後6時間ほど時間があったので街をうろつくことにした。 と言ってもでっかいバックパック背負って歩けるところは限られている。 駅から30分ほど歩くと「昆明老街」という古い町並みが残ったエリアがあるようなので行くことにした。
到着したものの特にこれといって活気があるわけでない。 日本の地方都市の商店街のような雰囲気のエリアだった。
予想以上に昆明は街だった事と欧米人の旅行者が全くいなかった事にびっくりした。
売っているものもお土産屋、石細工などで面白みがなかったが、道路でカードをやっている人がいたり電気バイクが走っていたりとバンコクと違った景色が楽しい。
そして、キター! 太極拳をやるおじさん。 太極拳自体は特に珍しくもないけど本場中国で太極拳を見れたことに自然とテンションが上がる。
でっかいリュックを背負いながら特に見るものもない街をあるきだらだらと時間を潰す。 ようやく列車出発の1時間前になった。
駅の切符売場。 この無機質な感じ共産圏です。 はい。
麗江行き列車のチケット。 昆明→麗江 152元
ここがプラットフォームかと思ったけど、実はただのゲート。 時間になったらゲートが開き地上階のプラットホームに移動できる。
意外と近代的で綺麗な雰囲気のプラットフォーム。 21時48分発の列車に乗って麗江(リージャン)へ向かいます。
列車は寝台列車。 3段ベッドの一番下が今夜の寝床だ。
ベットは少し狭いが、夜の闇に包まれた車窓と一定のリズムが深い眠りを誘う。
2日目 玉龍雪山の麓に広がるナシ族の街 麗江古城
日が昇り始める時刻に麗江に到着。 到着した麗江駅は雲南省の地方都市ににつかわしくない大きな駅だった。
駅前に麗江古城行きのシャトルバスが出ていたので飛び乗る。料金は1元。しばらく走ると玉龍雪山が飛び込んできた。
約30分ほど走り麗江古城に到着。 朝6時くらいということもあって歩く人もまばら。 まだ店もほとんど開いていない。
麗江(リージャン) 標高2400m
麗江古城はかつて少数民族のナシ族の王都であり、現在でもナシ族の人々が多く居住している。またナシ族のほかにリス族、プミ族、ペー族、イ族が居住し、漢族より少数民族人口の多い地域となっている。1996年の大地震で大きな被害を受けたが、翌年の古城区(麗江古城)の旧市街世界遺産への登録などを契機に復興が進められ、地震被害はほぼ修復されている。
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麗江古城について今夜の宿「ママ ナシ ゲストハウス」を探すも麗江古城は迷いやすくなかなか見つけられなかった。30分ほど迷いようやく到着。 チェックイン後は2段ベットにバックパックを投げ捨て街の散策に出かける。
麗江古城の中心となる四方街へ進む途中で見かけた屋台風レストラン。
鉄板で炒める料理がずらっと並び近くに寄ると美味しそうな香りと食を誘う豪快な音が聞こえてきた。
しばらく石畳の道を歩くと四方街に着いた。 時間が早かったため商業の中心地という感じはあまりしなかったが観光客の姿は目立っていた。
四方街の文字の隣にはトンパ文字が記されている。
トンバ文字
中国のチベット東部や雲南省北部に住む少数民族の一つナシ族に伝わる、象形文字の一種である。ナシ語の表記に用い、異体字を除くと約1400の単字からなり、語彙は豊富である。現在、世界で唯一の「生きた象形文字」とされる。
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四方街の門をくぐり抜け路地を通り獅子山公園の小高い丘を目指して進んで行く。
途中、路地の奥にテラスのある一軒の茶屋が見えたので進んで行くとひらけた景色が目に飛び込んできた。 すでに先約がいたが一緒にお茶を飲もうと勧められ席に座る。
i-Phoneを手にした彼女はたどたどしい英語を使いながら中国の東から旅行でやってきたと話し、中国茶の作法や飲み方、さらに簡単な中国語を教えてくれた。
30分ほどお茶を楽しみ彼女たちと別れたあと。 さらにさきへと進むと地元の女性が軒先で髪を洗っていた。 こういった景色に溶け込む風景が旅情を誘う。
麗江のひらけた景色が広がった。 さっき焦ってお茶を飲んだの失敗だったな……
歩いて15分ほどで獅子山公園に到着。 目の前にある建物は万古楼。高さは33mでここからも麗江古城と玉龍雪山の風景が楽しめる。 料金50元
獅子山公園の入り口には観音様が安置されている。
万古楼の入り口にはトンパ文字で名前が書かれていた。
万古楼からの景色。天気が良ければ玉龍雪山の美しい風景を望むことができる。 実際この楼しか見所がないが日本円にして約1000円は高い。
円安元高の影響と中国国内の物価上昇の影響が財布にダメージを与える。
獅子山公園から木府へ行く途中の風景。 瓦屋根に玉龍雪山が映える。
獅子山公園から来たため建物の裏手から木府へと入る。 料金60元
木府
元、明、清の3つの王朝に22代470年にわたって麗江エリアの統治を委ねられた木氏が暮らした館。正式には木司木氏衛署という。木氏は白沙を中心に勢力を築いた豪族だったが、南宋末期に獅子山の東側に本拠地を移し、元朝以降の王朝とうまく付き合い、チベットとの交流(チベットから馬を、雲南からはお茶を運んだ)で富を蓄えていった。
引用:地球の歩き方
結構広い敷地の中には色々なものが展示されているが特に目を見張るものはなかった。
ただ扉に施されている彫刻などが日本やタイと違い新鮮。 麒麟の木彫りは初めてみた。
木府を出て本日もうひとつの目的地、束河古鎮(そくがこちん)へ向かう。 昼過ぎということもあり古城内のほとんどのお店がオープンしていた。
通りを歩いていると太鼓とCDを売る店が多くありどこも太鼓レッスンをやっているのに気がついた。 そして面白いことにすべての店で同じCDが売られている。 リージャンのどこでも流れている曲なので勝手にリージャンソングと名付けた。 その曲は下記のYou Tubeから聞けます。 すでに100回以上聞いてたというか流れていたということもありついつい買ってしまったw
小倩 一瞬间 (曲を流しながら先に進んでもらえると少し旅情が出ます)
歴史的価値の高い麗江古城だが世界遺産に指定されてからは、中国本土からの観光客が多くテーマパーク化していることが少し残念に感じられた。少数民族の王都としての姿を残しつつも形を変え現代に生きる姿に、秘境という言葉は似つかわしくなく少し悲しい気持ちになった。
麗江古城の入り口からも玉龍雪山が見える。
そしてマック・ケンタッキー・ピザハットも並ぶ。 はぁ〜↓
古城の近くにあるタクシー乗り場から束河古鎮までは乗り合いタクシーで行くことになる。
束河古鎮
麗江の北西4kmのところに位置するナシ族の古い村で1997年に麗江古城と一緒に世界文化遺産に登録された。かつては茶馬古道の中でも重要な位置を占めていたこともある。また、高倉健主演の「単騎、千里を走る。」はこの村を中心に撮影されたことでも有名。
引用:地球の歩き方
10分ほどで束河古鎮に到着。 麗江古城と同じく観光客の姿が見えるが1/10ほどなのでゆっくりと回ることができた。
みどころはゆったりとした昔ながらの街並みを散策するところ。 土産店もお多いが地元の人向けの店もあり素朴な日常が垣間見れる。
山から沸いた水が豊富で、雪解け水が生活に根付いた造りの街並み。
ここに来た1つめの理由は四方聴音広場と呼ばれる広場の傍で行われるステージ。 ナシ族やイ族、チベット族、ペー族の歌や踊りが演じられる。
今までいろんな国の民族舞踊を見てきたが中国らしい舞踊だった。 また独特な衣装は踊るとしなやかに舞うものが多く華麗だった。
舞踊が終わり石畳の道をさらに先に進むと青龍河についた。 河沿いには雰囲気の良いカフェやレストランが並んでいる。
宿泊施設も以外と多かったので観光客の多い麗江古城が苦手な人は束河古鎮に泊まってみてもいい。
そして、2つめの目的地「茶馬古道博物館」に到着した。 中にはこの地方に関する歴史や文化が展示されている。
北の黄色い線が絹の道「シルクロード」 南の赤い線がお茶の道「ティーロード」
唐の時代より続く茶馬古道。 過酷な自然の中、数ヶ月の月日をかけてお茶を届けていたのだ。
束河古鎮の観光を終えて麗江古城に戻った時には日が暮れ始めていた。
今夜の夕食は屋台村のようなところで簡単に食事を済ませる。
夕食を終えて夜の街を散策する。 かなり活気があるがどこもかしこも観光客だらけ。
ゲストハウスへ戻る前に四方街に寄ったが、観光客向けのパブが多く古に似合わない音楽がドンドンドンドンと鳴り響いていた。 夜の麗江は旅情が全くない。ほんとに残念。
3日目 ナシ族が崇拝する神々の暮らす山 玉龍雪山
3日目は玉龍雪山風景名勝区へ行くことにした。 正直、国立公園入場料と山上へ登るロープウェイ代を合わせると300元近くになるのでかなり迷ったが、ここまで来て行かなかったら必ず後悔すると思ったのでなかば無理やりに行くことにした。
玉龍雪山
麗江の北にそびえる山で13の峰が南北35km、東西12kmのエリアに並ぶ。最高峰は5596m。ナシ族にとって神々が暮らす聖なる山であり、雪を載いた山の姿が空を飛翔する銀色の龍に見えるということから玉龍雪山と呼ばれるようになった。
玉龍雪山へ向かう乗り合いタクシーは全員観光客。内訳は中国人2名、韓国人2名、日本人1名と現代の三国志という展開になった。 中国人2人のうちの1人チャンに出身地を聞いた所「南京」というなんとも微妙な雰囲気が流れる展開に…… 先が不安だがとりあえずこの5人が今日のメンバーだ。
タクシーを降りてロープウェイを待つ行列に並んでいたと思ったが、実はロープウェイ乗り場行きのバスを待っていた。
標高がグッと上がるので麓では酸素ボンベが売っていた。 中国製の方が安い。
バスに揺られて約15分。 道がうねっているため高山病とは別の酔いがやってきそうになった。
ロープウェイ乗り場に到着。 ここでも標高3356mあります。はい。 ここまで高いと思ってなかったけど用心で高山病の薬ダイアモックスを飲んできて本当に良かった。
安心と信頼の中華製ロープウェイは何事もなく山肌を登っていく。 ここで韓国人女性が高山病の被害にあい上で法外な値段の酸素ボンベを買っていた。
そして到着。 標高4506mの気温は-2度。 めっちゃ寒い。 さらにここからは歩いて階段を登っていきます。
観光客用のワシ。 写真で金儲けですね。 はい。
途中から氷河が目の前に広がり自然のすごさを見せつけられる。
そして4680m地点に到着。 去年のネパールトレッキングより高い所に来ているが全く感動せず。 やはり山は自力に限る。 ただ標高経験を金で買ったって感じ。
しかし麓の方を見ると山が連なる絶景が目の前に広がった。 ただ高山病の被害続出で酸素ボンベを使っている人、ゲエゲエ吐いた後がそこらじゅうにあったので旅情ゼロ。 気持ちはわかるがそこまで無理せんで登ってこなくてもよくね? ここナシ族の聖山だし、下手したら死ぬぞw
ロープウェイを降りて次の目的地「白水河」に向かった。 ロープウェイ乗り場からシャトルバスで移動。
九寨溝のような青い池の河が美しい。
山間の景色は圧巻! 透き通る青色の水、そして空気もうまい。 ただこの石灰棚は作り物でした…… イエス! チャイナクオリティ!
池は全部で5つ。歩いて回れる散策コースがあるのでアジアの歴史について日中韓で話をした。 まさに歴史日和。 深い話までは言葉の問題でできなかったが国ごとに色々と考え方が違う事。 若者は過去よりも先を見ていること。 日本人、韓国人、さらに中国人までも中国共産党が嫌いということがわかった。 チャンいわく「ヤツらはファッ◯ンクソ野郎だぜ」と興奮していた。
ついつい話が盛り上がりすぎ気がついたら日陰ってきた。 最終バスに飛び乗り麗江古城へ向かう。 なかなか出費の大きい日だったが現代の三国志の中で有意義な時間を過ごせた気がした……
明日は標高差3000mにも及ぶ深い渓谷「虎跳峡」をトレッキングします。
2014年12月25日〜27日
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