パワースポットと名高い高野山へ観光に行ってきたらとんでもないことになった。

ガタ

こんにちは。 ガタ(ushirogata_bkk)です。
Youtubeのチャンネル「たびたびマハナコン」もはじめました。 

 

年に1回の一時帰国。 地元の名古屋、そして仕事で大阪に行くことになりました。 今回は病院の検診やら仕事がなどがあったので家族とではなく久々の1人帰省。 せっかくの1人だしちょっと日本を旅行しようと色々調べていると友人から「高野山は男性のパワースポットで仕事運がめっちゃ上がるらしいよ」と言う情報をもらった。

少し調べてみると高野山は2004年に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されたらしいく。 寺院と合わせてトレッキングもできるようだった。 さらに興味を示したのは奥之院。 弘法大師(空海)さまが御入定されている聖地だということ。 神社仏閣好きとしては一度は行くべきと思い1泊2日で高野山へ観光にくりだした。

 


高野山までのアクセスは大阪の南海なんば駅から特急こうやで約90分。 よくわからず特急に乗ってしまったが時間があるなら料金の安い急行で行くのもあり。(約110分) 極楽駅から高野山駅までは電車で行けないのでケーブルカーに乗り換えて移動。

高野山への行き方はこちらより

 


すると目の前がバス停になっていたので停車していたバスに乗り込みゲストハウスの最寄駅である奥之院前バス停まで向かう。 高野山に宿泊する人のほとんどが宿坊に泊まると思うのだが、正直堅苦しいのが苦手なのとゆっくりしたいと思っていたので高野山に1軒だけあるゲストハウス「Kokuu」に泊まることにした。

Koyasan Guest house Kokuu



Booking.com

 


到着した時間が12時ごろだったので近くの食堂で和歌山ラーメンと言うものを食べトレッキングに出かけることにした。 高野山は大きく分けて「女人道」と「高野三山巡り」の2つのトレッキング街道がある。 今回はトレッキングと観光を同時にしたかったので約6.9キロの女人道を選んだ。

女人道(にょにんみち)

高野山は八葉の峰と呼ばれる1,000m前後の山々に囲まれた山上の盆地で、明治5年に女人禁制が解かれるまで、厳しく女性の入山を規制してきました。高野山への参詣道として俗に「高野七口」と呼ばれる街道が通じており、かつては各入口に女性のための籠り堂として女人堂が建てられ、女人信者は弘法大師空海の御廟を拝みたいと、女人堂から女人堂へ八葉蓮華の峰々を辿ったといわれ、この道を「女人道」と呼んでいます。

引用:わかやま観光情報

 


今回歩く女人道は左側の紫色のルート。 高野山の街を囲うように歩いていくのがわかる。

 


女人道のスタートは奥之院前バス停のすぐ裏。 トイレの横の小道からスタートする。 外国人観光客が多いこともあり入り口はわかりやすいのかと思っていたが全然見つからず…… 結局地元のおばちゃん3人くらいに聞いてようやく見つけた。

 


森の入り口に入るといきなりトレッキング街道になっていてちょっとびっくりした。

 


世界遺産のトレッキング街道なので結構トレッカーとすれ違うかな〜と思っていたけどこの日は2組しかすれ違わなかった…

 


トレッキング街道の女人道は進むごとに森の景色が変わってくる。 原生している木の種類によって森の持つ雰囲気が全然違うのが面白い。

 


しばらく歩いていると、カサカサという枯葉が擦れる音がした。 ん?と思って見てみるとヘビが出現。 流石に嫌な気持ちになる。

 


さらに「この付近で熊の出没が確認されました 山歩きをされる方は十分気をつけてください」って看板。 熊野古道→熊の古道。 そういうことだったか…  ってか、どうやって気をつければいいのかわからなったので死を覚悟しつつiPhoneのオーディオ全開にかけて進むことにした。

 


しばらく進むと紀伊山地の絶景が目の飛び込んできた! おおお! これぞトレッキングの醍醐味。 紅葉の時期に来るとまた違った絶景が見られるのだろう。

 


30分ほど歩くと不意に大門へと到着した。 高さ25mの大門は高野山の総門で山岳仏教を表す堂々たる姿。 山火事や落雷等で何度か消失し1705年に現在の門が再建された未来。 門の左右には迫力ある木造の金剛力士像が安置されている。

 


大門の入り口からトレッキング街道が続いているので少し休憩した後また歩き出した。

 


少し景色が開けたところに出たので覗き込んでみるとここでも紀伊山地の絶景が広がっていた。 大門のところに書いてあったインフォメーションでは夕日が綺麗とのことなので時間が合えばここに夕日を見にくるのもありだろう。 場所は大門から女人堂方面に入って10分ほど歩いたところ。

 


そのままトレッキング街道を進んでいくと脇道のようなところから女人堂へ到着した。 高野山について全くの無知でやってきたこともありパンフレットを片手に女人堂の情報を調べてみると、明治5年まで高野山は女人禁制であったため女性はここより内山に入ることができなかったようだ。 そのため、さっき歩いてきた道を通り大師御廟へとお参りをしたようだ。 以前は7つの入口に女人堂があったようだが現在は不動坂にあるこの1つだけとなっている。

 


奥之院前からスタートしたトレッキングも終わりそのままの足で高野山の観光に入る。 最初にやってきたのは徳川家霊台。 1643年に3代目将軍の徳川家光が建立した家康と秀忠の両霊屋。

 


左右同じ二棟の建物からなり、右が家康霊屋、左が秀忠霊屋。 細部にいたるまで彫刻や金銀箔を押した飾金具などが美しかった。

 


そんな横で「ワイには関係ない」と言ってそうな猫がじーっとこちらを見ていた。 下手したらこの歴史ある建物も猫の爪とぎに使われるかもしれないな。 ひゃー

 


さて、やってきました。 続いては中学校の時に習った真言宗の総本山「金剛峯寺」。 たしかに教科書には写真が載っていなかったので非常に楽しみ。

 


こちらが金剛峯寺。 正直いたって質素といった感想だ。 タイの有名なお寺だとギンギラギンの装飾が施されLV99金閣寺みたいなのが多いので良い意味で驚いた。 とても品があり歴史が止まったような感覚になる。

 


金剛峯寺内の様子。 一宗教の総本山である建物の内部は静まり返っている。 歴史に名を残すような絵師による襖絵などで飾られていたが写真撮影は禁止。

 


いくつか興味深い部屋があった。 これは高野杉を輪切りにしたもので直径は2m近くあった。 もしかしたらまだ紀伊山地の奥深くに同じくらい立派な杉の木が生えているのかもしれない。

 


そしてまた無知で申し訳ないのだが金剛峰寺内には仏像が安置されていないことに驚いた。 学生の頃の教科書には詳しいことが書いてなく、どこのお寺にも仏像が安置されていると思っていたのだ。 ネットで調べてみると真言密教の仏は大日如来ということらしい。 曼荼羅に描かれているのか仏像は安置されてはいなかった。 タイだと120%仏像が安置されているので驚き。

追記:さんに教えていただきました。
金剛峯寺内に仏像(ないことはありません)というか本堂が存在しないのは、高野山全体が金剛峯寺だからです。つまり、金剛峯寺の本堂にあたる建物は壇上伽藍の金堂です。なので、山内の銀行・商店・学校などあらゆるものは境内の中ということですね。

 


金剛峰寺は観光ルートが整理されており裏には枯山水が美しい庭園もあった。

 


そのままの足で壇上伽藍へと向かう。 金剛峰寺からは歩いて5分もかからない。

 


右側にある赤い塔が根本大塔。 弘法大師は高野山開創に当たり、この大塔と真言密教の根本道場として建立されたと言われている。 816年から887年の71年の歳月をかけて建てられた。

 


個人的には根本大塔よりも隣に位置する西塔のほうが趣があって好きだった。 当初は大塔と西塔を二基一対として建立する計画があったようで大塔と似たような様式のデザインになっている。

 


壇上伽藍内に寄付された灯篭の屋根の部分。 苔が生い茂っておりいい感じ。

 


そしてまたまた無知で申し訳ないのだけれどお寺の中に神社があった。 異なる2つの宗教が混ざっており気になってので調べてみると良好な関係だそうだ。 神社は神主のいない無人となっているが荒れている様子はなくきちんと手入れが行き届いている。

 


高野山の街の様子はこんな感じ。 平日ともあって宿泊している観光客はほぼほぼ外国人だった。 歩いている人も少なく本当に世界遺産(?)といった静かな街並み。 海外だったら人でごった返しているだろうな。

 


ゲストハウスの近くにコンビニがないこともあり壇上伽藍近くのコンビニで買い物をして散歩をしながら帰ることにした。 奥之院は明日観光しようと考えていたけれど…… この入り口を目にしちゃうとそのまま入ってしまうよね。。。

 


金剛峰寺が信仰の中心かと思っていたが、実はこの奥之院が信仰の中心であり弘法大師さまが御入定されている聖地だった。 入り口の一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいる。

 


こちらはお墓だけどもうぶっちゃけ遺跡だよ。 それにしてもお墓のデザインはちょっと変わっているものが多く。 霊園で見るようなスタンダードなデザインではなかった。

 


奥之院の参道は高い杉に囲まれているため地面まで光が届かず墓標の周りにはコケが多くはえていた。 正直雰囲気めちゃくちゃいい。

 


夕方、日の暮れ出した奥之院。 少しずつ薄暗くなってくる中周りには20万を超える墓標が… 普通に考えてたらめちゃくちゃ怖いはずだんだけどそんな雰囲気は微塵もない。 むしろ安心感のようなものまであった。 これは奥之院がもつ雰囲気なんだろうか。。。

 


木の根元にはお地蔵さんも安置されていた。

 


やはり歴史がある場所だと手の行き届かない場所もあったりでお墓が崩れ落ちたりしている場所もいくつかあった。 またお墓にお供えするのは花ではなく松。 これも真言宗独自のようだった。

追記:さんより教えていただきました。

お供えが松ではなく高野槙(まき)である。高野山では霊木とされる。

 


奥之院の突き当たり。 写真撮影が可能なのはこの御廟橋まででこれ以降は弘法大師さまの瞑想の邪魔になってしまうので写真撮影や大きな声で話すのが禁止されている。 橋の突き当たりに見えるのが灯篭堂。 1023年に建てられ中には1000年以上燃え続けている2つの「消えずの灯」がある。

さらに灯篭堂の奥には弘法大師御廟があり大師信仰の中心聖地になっている。 少しドキドキしながら一通り参拝を済ましゲストハウスへと戻ることにした。

この日の夜はオーナーの高井さんとスリランカの話で盛り上がり色々と旅の情報交換をした。 日本で旅の話をするのはなかなか新鮮でとても楽しい時間を過ごすことができたのは嬉しかった。

 


翌朝5時半に起床し向かった先は奥之院の灯篭堂。 ここは現在も瞑想を続ける弘法大師さまへ毎日食事が届けられる。 この食事は「生身供(しょうじんぐ)」と呼ばれ毎日6時と10時半の2回届けられている。

 


6時になると3人のお坊さんが食事を灯篭堂へと運んでゆく。 そのまま後ろをついてゆき灯篭堂の中へ入るとと食事を台座へ置き朝のお勤めが始まった。

灯篭堂のもつ薄暗く神秘的な雰囲気とお経が合わさりどこか別世界に取り残されたような感覚になりながら普段目にすることがない光景をしっかりと目に焼き付ける。 しばらくして足が痺れると弘法大師御廟へ参拝をし御廟橋へと戻って行った。

 


また奥之院には有名な武将の墓や記念碑が数多くある。 これは織田信長の墓所。 他にも豊臣家墓所や供養塔などもあった。

 


夕方の奥之院の雰囲気も良かったが、朝一の陽が差し込む景色もとても良い。 墓地というよりも遺跡であり聖地でもある奥之院は毎年参拝に訪れても良いなと思うほど。 神社仏閣好きとしては本当にたまらない。

時間とお金と嫁が許すようであれば次回は家族で参拝に来たい場所だった。 また必ず、いやなるべく早く来ます。

 

まとめ

男性のパワースポットと名高い高野山へ行ってきましたが、宿泊したその日の夜に大きな仕事が舞い込んできて翌日急遽大阪へと行くことになった。 こんなにも凄いパワースポットなら毎月通ってもいいくらいのレベル。 とりあえず年に1回は参拝に行きたいなぁ〜という結果に終わりました。 奥之院は一度行くとこをおすすめします。

2018年7月17日〜18日

 

この記事が気に入ったら
いいね!お願いします。

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください